NOVEL

今日は珍しく、吹雪の弱い日だった。
周りを高い山に囲まれたこの小さな村、ネフィカルオラでは、風の具合によってたまにこんな日がある。この機会に男手はこぞって近くの森に入り、食料や燃料なんかを補充してくるのだ。
僕も子供だからといって甘えてはいられない。第一、僕の左腕なら大人以上の仕事をこなせるのだから、他の小さな子達と一緒になって遊んでいるわけにもいかないだろう。外套を一枚羽織り、大斧と蔦を編んだ縄を持って、僕は森へ足を向けた。
「おーいっ! ちょっと待てよおい!」
元気な声に振り返る。長い黒髪を振り乱して、一人の女の子が走ってきた。
アーニャ・セルジア。僕の幼馴染で、僕が大事故で両親を失ってからは彼女の家にお世話になっている。僕より3つ年上の18歳で、何かと僕の面倒を見てくれる。
駆け寄ってきたアーニャの肩には、小さなパグ犬が器用にしがみついている。彼女の家族で、名をやすしという。
「森に行くんだろ? 一緒に行こう。あたしも草を取りに行きたかったんだ」
「ああ、いいよ」
アーニャはオヤジさんと二人そろって腕のいい薬師だ。森で摘んできた様々な草で怪我や病気の薬を作り、村人のために蓄えている。村人は惜しみない感謝と尊敬を彼女に注ぎ、それはもちろん僕だって例外じゃない。それに彼女は、本当はすごく綺麗な顔立ちをしていて、泣き虫で、心の優しいとても素敵な人だ。・・・本当は。そう、本当なら。
「・・・あ?」
その本当はすごく素敵なはずの彼女が、ぴくりと片方の眉を跳ね上げた。
心臓の弱い人ならそれだけで発作を起こすんじゃないかと思えるほど、眉間に深くしわを刻んだ鋭い目つきで僕を睨みつける。上唇を突き上げ、顔のパーツが全て中心に寄ったその顔と相まって、すごく怖い。
・・・そう。本当ならすごく美人さんなのに、彼女は凶悪に、顔つきが悪い。
「テメェ、ふざけんなよ・・・」
言葉遣いも悪い。
「なに考えてやがんだボケが!」
すぐブチ切れる。
「んなうっすぃ外套一枚で森に入ったら風邪ひくだろうがぁ! 頭が痛くなったり熱が出たり咳が止まらなくなったりすんだろが? すげぇつれぇだろが? ちったぁ頭使えやクズがぁ!」
そしてとても心優しい。
「いいからもう一枚着てこいや・・・さっさとしねぇとあたしの上着貸すぞコラァ!」
他人の過ちを正すために、すぐに自分を犠牲にしようとする。
アーニャは、とても個性的な女の子だ。将来の夢は看護婦さんだ。
「あああああごめん、ごめんねアーニャ。でも大丈夫だよ、ほら、下にちゃんと着込んでるから。ね?」
外套をめくり、防寒用に体に巻きつけたなめし革を示すと、アーニャの表情は少し緩やかになった。
「ん、ああ・・・そうか。それならいいんだよ」
「アーニャこそ、ちゃんと着てるの?」
「あたしは大丈夫。じゃあ行くか」
「うん」
下らない話をしながら、二人で森へと歩いていく。鬱蒼と茂った森の中、真っ白な雪の上に二人分の足跡が伸びていく。
まだいくらも歩かない内に、近くで何物かの気配がした。
「グルルゥ・・・」
ケモノのうなり声。振り向いた瞬間、真っ白なオオカミが僕に飛び掛ってきた。
「わっ! こら、いきなり飛びついてくるな!」
「なんだシルベン、お前も来たのか」
シルベンと一緒になって倒れこんだ僕の隣に座り込み、アーニャがシルベンの頭を撫でた。やすしも一緒になって前足でぺそぺそと叩いている。
この白いオオカミも僕達と同じ村の一員だ。ケモノ達はヒトよりも比較的寒さに強いため、厳しい寒さが続く時などには仕事を一身に引き受けてくれる。だが大抵のケモノは細かい作業には向いていないし、高度な言葉も使えないため、そっち方面はいつもヒトの担当になる。
ヒトとケモノ、どちらかが欠けても僕達は生きていけない。ここはそういう場所だった。

シルベンを加えた僕達は、森の奥で各々目的地に散る。僕の目的は枯れ木だ。村で火をおこすための燃料にする。ちょうどいい具合の枯れ木の前に立ち、僕は大斧を左手に持ち替えた。大の大人でも両手じゃないと持てないようなその斧を、僕は左腕だけで持つ。
振り上げる。
「・・・はっ!」
振り下ろす。
その一撃で、僕の腰ほどもある太さの枯れ木が音を立てて倒れた。

僕の左腕は右腕より一回り大きい。
手の平も大きく、指も長い。そして全体が毛皮で覆われている。
それは、腕だけじゃない。頭、胴体、足・・・つまり、僕の左半身全体がそうなのだ。
僕達の村には、外にある村とは別に、山肌を地下へ向かって掘り進んだ地下居住区がある。そこは地熱の関係で外より暖かく、老人や怪我人、病人達専用の居住区になっている。
5年前、その中で僕は、両親と友人と共に落盤に見舞われた。
両親は即死。友人は僕をかばって瀕死。僕も左半身に大きな怪我を負った。
僕と友人はすぐに医療用のスペースに運ばれ、アーニャのオヤジさんをはじめとするたくさんの人が僕達を助けようとしてくれた。だけど、その甲斐もなく友人は死亡。友人は右半身に大きな怪我を負っていて、左半身はほとんど無事だったので、一か八かでその左半身を僕に移植することになったのだ。
友人は山男とか雪男とか呼ばれる白い毛皮の大きなケモノで、形はヒトに似ているが両手が長くて力が強く、夜目が利き、ネコのように爪の出し入れが出来るケモノだった。頭も良く、かなりの言語を理解し、喋った。その友人の左半身が、今の僕の左半身だ。
だから、僕の左腕はヒトよりも遥かに力が強い。細かい作業は出来ないが、今みたいに力仕事ならもっぱらこの左腕を使っていた。

切り倒した枯れ木を縄で縛り、左手でそれを持ち上げた。僕の仕事はこれで終わりだ。シルベンと一緒に草を取りに行ったアーニャの元へ向かう。
「おーいアーニャ、こっちは終わったよ。そっちはどうー?」
「おーう。こっちもそろそろ・・・」
 繁みをかき分けて顔を出した僕を、地面に座り込んで草とにらめっこしていたアーニャが振り返る。その言葉が途中で途切れた。
「クソ野郎がーーーっ!」
「ええっ!?」
いきなりアーニャが僕の足もとに手を伸ばしてきた! いきなりのアクションにやすしは肩から転がり落ち、ブレーキが間に合わず、僕はアーニャの手を踏みつけてしまう!
「にうっ!」
「わぁっ! ごめんねアーニャ! 痛かった!? ほんとごめん!」
「いっ・・・痛くねぇよ! 痛くねぇもん! 気にすんなボケ! いきなりだったあたしが悪ぃんだよ!」
「ほんとにいきなりだよ。どうしたの?」
「・・・どうした、だとぉ・・・?」
涙目だったアーニャはゆらりと立ち上がり、近くの木の幹を両手で掴んだ。
「もう少しでスミレの花ぁ踏むところだっただろうがこのクサレ外道がぁーっ!」
ごすっ! 頭突きぃ!?
「あああああ悪かった、悪かったから! 次から気をつけるから! というかアーニャ、説教する時すぐに自分を痛めつけるの止めようよ! 木に頭突きなんかしたら痛いよ! ね!?」
「・・・今のは、痛かった」
「あああああほら、血が出てるよ・・・傷薬は? どうすればいいの?」
「左胸のポケットと、左腕のポケット。その2種類の草を一枚ずつ揉み合せて・・・」
いつものように、アーニャのポケットには様々な草が詰め込まれていた。アーニャの服はこうやって草を持ち帰るためにたくさんのポケットがついている。上と下、右と左、前と後ろ、表と裏、全部合わせて実に20個! それぞれのポケットは草の種類毎に分類されているらしい。感心してしまう。
「ここ?」
「あ、おっぱい触った」
「ちちちちち違うよ! 違うよ違うよ!」
「だよな。違うよな・・・触れるほど、大きくないもんな・・・」
「あああああそんなこと言ってるんじゃなくてほらそのあれだえっと」
「ははっ、冗談だっつの・・・泣いてねぇよ。泣いてねぇよ!」
「あー、うー、アーニャ~・・・く、薬~・・・」
「ああ、こことここのポケット・・・うん、それ。そうそう、そうやって・・・」
「これでいい? じゃあおでこだして」
「ん」
「しみる?」
「大丈夫・・・ありがと」
「ううん。じゃあ行こうか」
「ちょっと待てや大ボケ野郎がぁっ! 草を触ったらちゃんと手ぇ拭け! 薬草でも目に入ったりするとすげぇ痛かったりするんだよ、分かんねぇのかコラァッ! 手ぇ貸せや、カラダで分からせてやんよ・・・くぅっ、染みるぅ~痛いぃ~・・・」
草の汁がついた僕の指を、自分の目に当てて涙目になるアーニャっていやいやいやいや。
「あああああ離して、離してよアーニャ! 分かったから! ちゃんと拭くから! だからアーニャも目を洗おう! ね?」
雪を手にとって溶かした水で、アーニャの目を優しく洗ってやる。ぱしぱしとしばたかせたアーニャの目は真っ赤に充血していた。
「ありがと・・・」
「いいから、早く帰って温泉でちゃんと洗おう・・・あれ、シルベンは?」
「どっか行った。あいつ鼻が利くから。草の中にはニオイのきついものもあるしね」
「そっか。やすしはずっとアーニャと一緒だから、草のニオイに慣れちゃったんだね」
アーニャの肩にのんびりとしがみついているやすしを撫でる。気持ち良さそうに目を細めるその様子はかなり可愛い。
「おし、じゃあ帰るか!」
「うん、そうだね」
森の入り口で待っていたシルベンと合流し、僕達は足早に村へ帰った。

村では元気な子供達が遊びまわっている。僕の左腕はよく子供達の腕試しや遊び道具にされるけど、もちろん全然イヤじゃない。でも今は大きな枯れ木を持っているので残念ながら相手はしてやれない。じゃれついてきた子供に笑顔を返し、村の共有で倉庫として使っている小屋へ向かった。
「・・・よいしょっと」
小屋の前に枯れ木を下ろす。さすがに長い距離を持って歩くには重かった・・・本当は薪割りをして小屋の中に入れとかないといけないんだけど・・・少し休んだ後でいいかな・・・
どんっ!
・・・いきなり後ろで聞こえた音に嫌な予感を感じながら振り返ると、アーニャがものすごい形相で壁を殴りつけていた。
「お前はホントにクズだな・・・」
「え・・・?」
えーっと、なんだろ、なんだっけ。小さい花を踏んだり・・・は、してない。アリさんとかも大丈夫。じゃあなんだろ、今度は何がアーニャの逆鱗に触れたんだろう・・・
「こんな所に置いたらよぉ、遊んでる子供が足の小指ぶつけるだろうがボケがぁ! 地味に見えてもかなり痛ぇんだぞ、ナメてんじゃねぇよ! 言って分からねぇならカラダで分からせてやんよ!(ごすっ)痛っ、痛ぁーっ! こんな具合! こんなに痛いの!」
自分で足の小指を枯れ木にぶつけ、片足を抱えてぴょんぴょこ跳ねるアーニャ。それに合わせて肩の上でやすしがぷらぷら揺れている。ああもう・・・この人は・・・
「あああああ痛かった、痛かったね? 分かったから、どけるから、もう子供達も大丈夫だから。ね?」
「グスッ・・・うん。気ぃつけろカス」
涙目で足の小指をさすりながら暴言を吐くアーニャ。こういうときは全然怖く見えないんだけど。
「少し疲れたね。目も洗わなきゃならないし、お風呂に入ろう?」
「ん・・・そだな。そうするか」
年中雪の降り止まないこの村で、それでも僕たちが生活していけるのは、村の真ん中にお湯が湧き出しているからだった。
どうやら周囲に火山があるらしく、その地熱で温められた地下水が湧き出ているらしい。この源泉のおかけで生活用水に困る事はないし、そこを囲むようにして温泉を作っていたりするのだ。老若男女の区別なく、いつでも自由に使えるので、ヒトもケモノも好きな時に温泉に浸かりに来ていた。
肩までとっぷりとお湯に浸かり、手足を思い切り伸ばす。それだけで疲れが全部お湯に溶けていくようだ。
「はぁ~・・・極楽だねぇ~・・・」
「だなぁ~・・・」
となりではアーニャがふんふんと鼻歌を歌っている。お風呂の中ではアーニャの目つきは剣を無くし、とろんとする。そして火照った頬とぬれて肌にはりつく髪。そんなアーニャをぼんやりと横目で見ていると、その向こうで何か小さい影がぽちゃんとお湯の中に飛び込んだ。
「おぅお二人さん」
「あ、アビ爺だ」
「あーおっさん、こんちゃー」
アビ爺は、白い体毛の大きなサルだ。お風呂の中ではその体毛がぺったりとしてしまって大変に面白い様相となる。
「毛玉だー。毛玉が泳いでるー。あっはっは!」
「アーニャよぉ~、お前さんも黙ってりゃべっぴんさんなんだからよぉ~」
アビ爺みたいに、体のつくりがヒトに似ているケモノは人の言葉を喋れる。やすしやシルベンみたいにヒトと全然違う体の作りだと、聞いて理解は出来ても発音は出来ないようだ。
僕たちが楽しくはしゃいでいるのが聞こえたのか、温泉にはぽつりぽつりと村人達がやってきた。結局最後にはヒトもケモノも合わせて10人くらいの大所帯で、温泉はすっかり賑やかになってしまった。

真っ白な湯気と。
楽しそうな声と。
温かいお湯と。
アーニャの横顔と。
そんな大好きなものたちから、想像しろという方が無理だった。
このつつましやかな幸せが。
ほんの数日後に。
しかも、僕のせいで。
壊れてしまうことになるなんて。

ヴラワラト山脈を成す、多くの火山のうちの一つ。
その山頂で、ある異変が起きた。
最初は、音だった。
ヂヂヂ・・・という、虫の羽音のような、それを百倍不快にしたような。
次に、光だった。
何もない空間。吹雪の中で、光は最初は弱々しく、次第に強く、大きくなっていく。
そして、亀裂だった。
空間に、としか言いようがない。
何もない中空に、突然亀裂が走り、布を引き裂くように、空間がひび割れ始めたのだ。
誰も見ていないその場所で、ひび割れはやがてヒトの大きさほどになる。
最後に、手だった。
そのひび割れた空間の向こうから、手が、現れた。
空間の境目を、凶悪な爪の生えた、毒々しい色をした、いびつな手が掴む。
手は、意思を持っていた。
明確な意思を持って、こちらがわへ出て来ようとしていた。
次元の向こうから、災いが現れようとしていた。

DRAGMENTS LOAR